尾道の探索コーナー

尾道千光寺公園から ブログ親父の徒然日記

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映画の町

映画の街、坂の街尾道市の紹介

尾道は言わずと知られる映画の街で大林宣彦監督の出身地であり旧尾道三部作に加え平成の新三部作がある。
最近では『男たちの大和』のオープンロケセットが尾道市街地の対岸の向江島に2006年5月まで一般公開されていた。
06年5月まで公開されそれ以降は取り壊された、だが1部は呉市の大和ミュージアムに展示されている

尾道千光寺公園

尾道千光寺公園は尾道市と向島を一望できる山の頂上付近にある。

千光寺の本堂から望む尾道の町並みと向島。左側には島と本土を結ぶ尾道大橋としまなみ海道の一部である新尾道大橋が見える。
向島との連絡には橋の他に民間の渡船もある。7月には大きな花火祭りが開催され賑わう。

尾道千光寺公園に行くには道路との他にロープウェーが尾道市街から運営されている。
尾道探索には便利な乗り物だ。本当に坂の町とあって車両が通行できる道路は狭く階段や路地で町並みが成り立っているのにはさすが古き良き尾道である。

文学のこみちを歩いているとあちらこちらに著名人の詩が紹介されている。
写真は暗夜行路 志賀直哉の詩が石に彫り刻まれている。(写真をクリックしますと読みやすくなります。)

写真は正岡子規の詩。
正岡子規(まさおか しき、慶応3年(1867年)10月14日9月17日) – 1902年9月19日)は俳人、歌人。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。
俳句・短歌・新体詩・小説・評論・随筆など、多方面に渡り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人である。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。享年35。辞世の句「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」より、子規の忌日9月19日を「糸瓜忌」といい、雅号の一つから「獺祭(だっさい)忌」ともいう。
本来、毎月や月ごとなどを意味する「月並み」という言葉が、『人並み、平凡』という意味も含んだのは、正岡子規がありふれた俳句や短歌を「月並み調」と批判したことが始まりである(写真をクリックしますと読みやすくなります。)

写真は林芙美子の放浪記。
林芙美子(はやし ふみこ、本名林フミコ、1903年12月31日 – 1951年6月28日)は、山口県下関市生まれ(自称)の小説家。
晩年は映画化されるなど女流作家として確固たる地位を築いたが、作風は自らの貧困に苦しんだ生い立ち、流浪の経験などを基にした、生々しい実感を伴う表現や人物描写が特徴である。
「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」という彼女の言葉は広く知られている。
(写真をクリックしますと読みやすくなります。)

文学のこみちを歩いていくと千光寺の裏口に出てくる。
千光寺につくとおみやげ屋やおみくじなどの売店が数店舗あり本堂では線香をあげるのに30円いる。
また、おみくじは100円で菩薩が付いてくるので財布の中に入れておこう。

左写真は去年の2006年5月まで公開されていた男たちの大和のロケセット跡地。
いまではドックが埋め立てられ跡形もない。
市街地も昔ながらの懐かしい建物がアーケード内に有ったり結構。見応えが有る。

御調ダム

尾道市御調町にある御調ダム周辺は観光用に整備され夢吊り橋を歩いて渡ることが出来る。結構、高いので高所恐怖症のかたはご注意を?

写真のように立派なダムである。
ダムによって出来たダム湖を青龍湖という。ダムは1988年に完成している。

ご覧の写真のように観光用に赤い吊り橋が架かっている。 眺めが良く青龍湖を望むことが出来る。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

結構長く200mくらいだろうか?
吊り橋なのでもちろん揺れます。結構な高さです。

(写真左)結構な高さにおびえるあすみかなでも楽しんでいるようでした。
(写真右)外国の方が見学に来ていたのですがあすみはその女性らにもてもてでした。
道路状況も良くダムに興味がなくても夢吊り橋を渡ると楽しいものです。
駐車場からちょっと遠いかな?

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